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イロドリヲクワエル.

他人にとってはどうでもいいことをつらつら書きます。悪意はないです。全部は信じないでください。

田舎出身のアラサー女を死に至らしめる小説

超がつくほど何様な書評(?)を書いていく。ゆるしてね。

 

 

『ここは退屈迎えに来て/山内マリコ』

 

 

 先日西千葉の古書店月光堂」にて、平置きされていた。

 

黄色い帯に

「ありそうでなかった、まったく新しい“地方ガール”小説です。―山本文緒

と書いてあった。

私は“地方ガール”なので、ちょっと魅かれて手に取った。

 

手に取ったら、裏表紙側の帯に本文の引用がいくつか載っていて、そのうちの一つに

「みんなバカのひとつ覚えみたいに結婚しやがって」

と書いてあったので、買うことにした。

 

 

ここは退屈迎えに来て

 

この本はそれぞれがリンクしている短編集だ。

これと言ってなにか帰結する物語たちではないのだが、

25〜35歳の田舎出身にはわかりすぎるほどわかるディティール。 

わかりすぎて悶え死ぬところだった。 

 

なにかと話題の漫画、「東京タラレバ娘」をお読みになっただろうか。

読中、読後感はあれを読んだ時に近い。

タラレバ娘、全部読んでないけど。怖くて読めないんだけど。

 

 

田舎の息苦しさ、退屈さ、扁平さ、地元しか知らない人への軽蔑、

しかし幸せそうなその人たちへの羨望。

やることがないからヤるしかない16歳。

無為に年を重ねていく不安。

中途半端に都会なんか見なきゃよかったという気持ち。

外を知らなければ、井の中は楽園だ。

 

東北で生まれたこと、東北で暮らすことについての話は、

また後日ここに書こうと思う。

 

 

それから、それぞれの短編の中に

自分が今までしてきた小ズルい所業や

他人の気持ちを無視した行いがうっすら見え隠れして気持ち悪かった。

 

 

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内容に関係ない、文章としての感想を。

 

文中に、例えとして固有名詞をバンバン使っている。 

 「佐藤浩市的魅力」「ハイテンションの平野レミのような」

「椎名くんは、タモリにとっての吉永小百合みたいな存在なの!」など。

とても容易に情景や人物像が浮かぶのだが、

その分、描写することの手間を怠っていると思った。

描写のファストフードだ。

 

私はそこまで鮮明に登場人物像に近づきたくない。

登場人物の人物像は、前後の文脈や、描写によって、

薄らぼんやり自分の中で構築したいタイプだ。

蛍光灯より白熱灯が好きだ。

 

 

エッセイではこれに限らない。

具体的であるほど面白いし、ファストフードもジャンクフードも

みんな美味い。

しかし、小説はもっと小説でいてほしい。

 

 

何年、何十年先まで読ませることは考えていないのだろうか。

固有名詞を使いすぎると、ポケベルが出てくる歌のようになっちゃうぞ。

 

 

 はじめて見る名前、「山内マリコ」。

 調べてみると、35歳の綺麗な女の人だった。

吉岡里穂とMEGUMIを足して一般人で割ったような顔。

(描写のファストフードをやっちゃう感覚がいまわかった。ごめん。でもこのまま進む。)

 

そしてなんと、ジェーン・スーと対談したりしているではないか。

われらがスーさん!

TBSラジオ生活は踊る」をほぼ毎日欠かさず聴いている私は、一気に親近感が湧いた。

でもこの人結婚してるんだよね。

スーさんは結婚していないから説得力があるのに。

 

 

総じて面白く読んだが、心は飽和気味だ。

著者と感覚が近すぎすぎたのだろう。疲れたし若干イラついている。

 

 

私と同じようにこの本に殺されそうな女友達がいるが、彼女は本を読まない。

本を読まないというのは、それはそれで、井の中の楽園にいるのかもしれない。

羨ましい。