おばあちゃん
おばあちゃんが死んだ。去年の11月に。
おばあちゃんと言っても、私は彼女がどこの誰なのかよく知らない。
お父さんのお母さんは、私が3歳のときに、55歳で亡くなった。くも膜下出血だった。
私をおんぶして、よくドラム缶でゴミを焼いていた。
今考えると、55歳ってすごく若い。
うちの両親ももう、その年齢を通り過ぎた。
しばらくしたら、新しいおばあちゃんが来た。
いつ来たのか、どこから来たのか、どうしてうちに来たのか、詳しいことはわからない。
たぶん、私が10歳かそのくらいの頃だろう。
どうやらおじいちゃんが恋愛したわけではなく、山奥の広い家にひとりになったので、世話焼きな誰かが、これまたひとりになったおばあちゃんを見つけてきてくっつけたらしい。
細くて小さな人だった。
とても控えめで、部屋の隅でいつも焼酎を飲んでいた。
当然ながら、おじいちゃんとの間に愛はなかった。身寄りもなかった。
夫にも息子にも先立たれ、東京の小さなアパートでひとりで生活していたそうだ。
私は直接聞いたことはないが、「東京ではお洒落して、こんなに高いハイヒールを履いてね、サッサッと歩いていたのよ。」と私の母に話していたらしい。
私たち家族は正月やお盆に会うくらいだったので、うちに来てからも彼女のほとんどを知らない。
亡くなってから、初めて家の奥の方にある北向きのおばあちゃんの部屋に入った。
敷きっぱなしの布団と、溜まった定期購入の健康食品があった。そして、部屋の奥に一竿の箪笥。中にはラルフローレンのベージュのセットアップと、肩パッドが入った綺麗なエメラルドグリーンのスーツがあった。
虫喰いの跡もなく、とても大事にしていたのだろうと思った。
ここ何年かは足腰が弱り、倒れたり、入院したり、デイサービスに通ったりしていた。
おばあちゃんは、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろう。
きっとこのお洋服を見て、サッサッと歩いていた東京での暮らしを思っていただろう。
若くして亡くなった息子のことを思い出していただろう。
どうしてこうなってしまったのだろうと考えていただろう。
考えただけで悶絶しそうな長い長い田舎の1日を、何をして過ごしていたのだろう。
焼酎でタイムスリップしたかったのかもしれない。
出棺の朝、お母さんが、白装束になったおばあちゃんにあのエメラルドグリーンのスーツを被せていた。颯爽としていた頃の思い出を心にずっと抱いていたおばあちゃんの気持ちをよく汲んで、いい計らいをしたなぁと思う。
死に化粧をした顔は、生きていた時よりもずっと顔色がよく、こちらが安心するような安らかな顔立ちだった。
出棺の儀式はどこかみんな、よそよそしかった。
泣いている人もほとんどいなかった。
私も泣かなかった。
おばあちゃんの人生を思うと、心苦しくなる。
幸せだったんだろうか。
本当は何を思っていたのだろうか。
最期を誰かに送ってもらうためだけに入籍したであろうおばあちゃんの最期を、ただ、切ない気持ちで見送った。
おばあちゃんの人生って、なんだったんだろう。
せめておじいちゃんの恋人だったなら、誰かにちゃんと愛されていたなら、どんなによかっただろう。
火葬が終わって、少しだけ残ったエメラルドグリーンの灰が悲しかった。
誰にも刺さらず、静かに閉じた人生を、記しておきたい。そう思って書いた。
割と毎日、おばあちゃんのことを思う。
孤独だったけど、今は本当の家族にも会えているだろう。
そして、私の中にもおばあちゃんの居場所があるよ、と言ってあげたい。
いつも部屋の隅で「可笑しい〜」と言いながら静かに笑っていたおばあちゃんの口癖は、たまに私の口からも出てくる。